現役通訳ガイドのフランス留学

2007年からフランス語の通訳ガイドとして日本全国を飛び回っています。ガイド歴11年目の今年、9か月休業してフランスに留学することに決めました。せっかくなので、ガイド目線で、留学先・リヨンの学校やホームステイの様子、フランスのツーリズムの状況などを綴っていきます。日本のインバウンドに携わっている方、通訳ガイドを目指している方、フランス語を勉強している方、今さら留学(?)をお考えの方などに、ぜひ読んでもらいたいです!

風邪をひきました

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留学生活第2章がスタートしたとたん、風邪をひきました。

日本で(インフルエンザはかかったことがあるものの)風邪をひくことはまずなかったので、まさか自分がフランスで風邪ををひくとは思ってもみなくて~

 

それがそもそもの間違いでした。

一時帰国や引っ越しや引っ越し先での新たなストレス等々で、免疫力が落ちていたところに、日用品やら食料品を揃えるためにせっせとLa Part-Dieuのショッピングモールに通った週末。(モールは、 特に土曜日の混雑ぶりはひどくて、風邪菌の宝庫だったかもしれない・・)

 

週明けから、咳が出てきて、のどが痛み始め・・・

これはヤバイ、早く手を打とうと思ったけど、日本から「まったく」風邪薬を持ってきてなくて~。(なんてこった~)

なので、薬局に行って、症状を訴えたところ、処方してくれたのが、のど用のスプレーと、咳用のジェル状の薬(非常にnaturalベースのもの)。けれど、この2つの薬が効かず、症状は悪化するばかり。

火曜日は早めに寝たものの、水曜日はさらに悪化。学校を早退して、また家でひたすら寝ていましたが、咳と のどの痛みが悪化の一途。あ~、日本の風邪薬さえあれば~、と、もんもん。

木曜日になって、日本人の友人(ただいまリヨン滞在中のフランス語のガイドさんです)にSOSして、風邪薬を持ってきてもらいました。(海外にいて、日本の薬を分けてもらうことはとても申し訳ないことだし、即、駆けつけてきてくれた友人は神様のようだった~)その分けてもらったベンザブロックを飲んだとたん、症状が和らぎ、光が見えてきました。

ところが、木曜日も金曜日も学校を休んで、ひたすら寝ていたのに、3回分のベンザブロックが終わったとたん、また症状が再発~。

 

金曜の晩に、たまらず、フランス人の知人(元・看護師)にSOS。ご夫婦で車で駆けつけてきてくれて、病院に連れていってくれることになりました。

しかし!これがとんでもないことに~!

運んでいってくれたのは救急病院。普通なら風邪ぐらいで行ってはいけないところなのに、おそらく、(そこで以前働いていた元・看護師の) 知人の裁量で、無理やりつっこんだのかと思われます。

で、一切の書類の手続きをやってくれたところまでは、ありがたかったのですが、その後、待合室(の廊下)の簡易ベッドに寝かされたあと、知人はまた来るからねと、家に帰っていきました。

 

それが夜8時前。私はわけがわからないまま、そこに放置され、夜10時過ぎても、11時過ぎても、12時過ぎても、呼ばれることはなく・・・。

周りの患者は、ものすごいいびきをかいていたり、俳諧していたり、、ぼんやり何時間もそれを見ていると、恐ろしくて・・・。とにかく、ここから抜け出したい、と思いましたが、ここがどこかもわからず(私の家からはかなり遠い地域)、メトロも終わってしまった時間なので、どうしようもない。私は、ここに棄てられてしまったのか?

 

夜中の1時、2時が過ぎて、もう死んだようになっているところへ、やっとスタッフがきて、別の部屋に移されました。そこで、コートやセーターを脱がされ(雑菌予防のため)、ぺらぺらの布を着せられ、その状態で、スタッフが、「なんで(あなたみたいな人が)救急病院に来たの?」と聞く。それは私のほうが聞きたい。なんで私はここにいるのか? 責めるような口調の質問に、涙ぐみそうになりながら、「私が望んだんじゃない。ここを選んだのは私じゃない」と訴えると、別のスタッフが、質問したスタッフをさとし、そのスタッフも「ごめんなさい。そんなつもりはなかったの。ただ質問しただけだから。」と謝る。

あ~、それでも、私にも、自分が場違いであることがわかっていて、だからなおさら居心地が悪くて悪くて、帰りたくてしかたないのに・・・。

さて、この別室で待たされること、さらに1時間。SF映画に出てくるような実験室みたいな部屋で、恐怖とあきらめが交差する。ぺらぺらな布が寒くて、こんなところにいたら風邪をひいてしまう~💦と思った。(が、私はすでに風邪をひいているのだった)

 

ドクターが診察に来てくれたのは、夜中3時前でした。その前に研修医の軽い診察があって、なぜか同時に、知人も病院に来ていました。私は知人に「こんなことになるとは知らなかった。こんなに待つなんて知らなかったー。」と言うと、彼は「これが唯一のソリューションだったんだ。」と言って、悲しそうな目をしている。私は恩人に向かって吐いた暴言を反省。でも、7時間もの間、私の頭は???だらけで、その時の私はそう言わないと狂いそうだった。

 

クールなドクターの診察により、私の風邪はただの風邪で、インフルエンザでもなく、心配するような病気でもないことがわかりました。

病院を出たのは朝方4時。とりあえず知人の家で寝かせてもらい(素敵な部屋だった。とはいえ長居するわけにもいかず)2時間ほど仮眠をとったあと、私はなんとか自力で家に帰りました。

 

というのは、事態は もっと ややこしくて。

実はこの同じ日(金曜日の夜)、ロンドンから、英語ガイドの親友(オフシーズンのみロンドン在住。オンシーズンは日本)がリヨンに遊びに来る日でして~。

もともと私は駅まで彼女を迎えに行くはずだったのに、症状の悪化で行けず。しかも、救急病院にはwifiがなく、まったく連絡できずじまい(ひえ~💦)朝になるまで彼女は、私がどうなってしまったのか、知る由もなかったのです。彼女は駅から自力でホテルにチェックインし(フランス語の世界で、自分でメトロを乗り継いでたどり着くのは大変なことです)、晩ご飯もひとりでレストランに行き、翌日の午前中は、(やっとコンタクトがとれた朝、私が電話でアドバイスした通りに)、ひとりでフェルヴィエールの丘の大聖堂と旧市街を観光してくれました。

一方、いったん家に帰った私は、支度をして、お昼すぎに、彼女と合流、晴れて、私達は、リヨンの街で再会、おしゃべりと散策を楽しみました。

 

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本来なら、もっといろいろ案内したかったし、もっと見せたいものもあったけど、それでも、この状況で、このコンディションで、よく一緒にいることができた、と思います! 彼女が、とてもポジティヴで、私の健康状態を知りながらも、臆せず、この状況に飛びこんできてくれて、果敢に、この国、この街を楽しもうとしてくれたことは、特筆すべきことです。その勇気、前向きな生き方が、どれほど精神的に私を励ましてくれたことか。 彼女がわざわざリヨンに来てくれたのは、何より、留学中の私を、彼女の眼で実際に確かめるためです。何か月後に、過去の話として留学話を聴くのではなく、まさに奮闘している私の今を目撃して、ともに今という瞬間を分かち合う、そのために来てくれたのです。こんな友達っているでしょうか?

 

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残念ながら、一緒に行ったカフェやレストランでは、食欲が回復しておらず、病院で服用した痛め止めのために、一時的に味覚障害になり、一緒に料理を平らげるまでには至りませんでしたが、それでも、彼女とリヨンのお店にいるという事実は、直前までの展開を考えると、夢のような時間でした。

翌日(日曜日)には、Les Halles de Paul Bocuse でリヨンのグルメな市場を堪能したあと、彼女はロンドンへ帰っていきました。

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特別な状況下での再会ではあったけれど、リヨンの空気をじかに感じてもらい、積もる話をこの地でたくさんできたこと、ほんとうに感謝しています。