ガイドツアー(3)Les traboules a la Croix-Rousse et l'Atlier de Soierie
久しぶりに、リヨン市が主催する、ガイドツアーに参加してきました。
今回、申し込んだのは、
「クロワ・ルースのトラブールと 絹織物の工房」がテーマのツアー。
トラブールとは、リヨンの古い建物内にある通路のことです。並行する二本の道をつないでいて、雨や人目を避けられるため、リヨンの主要産業品であった絹織物を濡らさずに運んだり、デザインの盗用を防いだり、第二次世界大戦中にはレジスタンスの活動にも利用されたと言われています。
クロワ・ルースの丘には、カニュ(Canut)と呼ばれる絹織物職人が、多く住み、働いていました。(こうした建物自体がたくさん残っていて、現在は、多くが、内部はアパートに改修され普通の住居として使われています)
で、今回のツアーは、そのクロワ・ルースの丘の上の広場で集合して、途中、トラブールを抜けながら、丘のふもとまで下っていく というツアー。
広場には、ジャカード織機を発明した、ジャカールさんの銅像が。
この日は、あいにくの雨。しかも寒い。それでも、参加者は、30人位いました。
今回、私は、あゆみさん(ただ今、リヨン滞在中のフランス語ガイドさん)と一緒に参加。ガイドは ベテランの Annelieseさん。オーストリアなまりのフランス語です。
要所、要所で、止まりながら、説明がなされます。話はおもに、リヨンの織物業の歴史なんですが、ざっと訳すとこうなります。
15世紀(ルネッサンス)イタリアからリヨンに、絹商人や技術者が引っ越してきます。ルイ11世がこれを推進し、南フランスで養蚕業が発展。
16世紀に入ると、フランソワ1世が貿易赤字を解消するためにリヨンに絹織物の特許を認め、絹産業の中心地に指定。
その後ルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿の装飾のために、金糸や銀糸を織り交ぜた豪華絢爛な絹織物をリヨンから調達します。
19世紀には、ナポレオンもリヨンの絹織物産業を保護。
織機の発明(ジャカード織機)で生産性が上がり、職工の活躍で絹織物産業が発展します。
ちなみに、フランス語で知りたい方は、リヨンの絹織物産業の歴史については、こちらにあります↓
https://fr.wikipedia.org/wiki/Histoire_de_la_soierie_à_Lyon
さて、今回、最も印象的だったトラブールは、Voraces (ヴォラス)の中庭 と呼ばれるトラブールです。石の階段に、思わず、おっ、となります。
ヴォラスとは絹織物職人の互助会の名前。1831年、劣悪な労働条件に対して起きた反乱の中心となったグループです。こんな碑がありました。
1831年のリヨンの織物工・canut(s) によるrevolte は (Annevoryさんは、織物工のことを終始、tisserand(s) と言ってましたが)、ヨーロッパにおける、最初の労働者による反乱 だそうです!そう聞くと、このクロワ・ルースという場所の意義がより高まります。
この碑には、1948年に採択された、世界人権宣言についても記載されていますね。
トラブールをぬけていくと、昨年まで私が住んでいたホストファミリーの家のすぐ近く(rue des tables de claudinne)に出てきたので、なんだか懐かしい気分になりました。この辺りは、以前よく歩いた場所です。
最後は、Atelier de Soierieへ。
ここは、coloration彩色を専門にやっている工房です。
オーナーの話が、これまた長かった。コメディアンみたいな口調で、よく喋る、喋る。
日本の寡黙な職人のイメージとは真逆です。
でも、実演してくれた彼は、寡黙でした。
スカーフのモチーフです。ブルーの色をのせると、鮮やかになりました。色を重ねていくのは、浮世絵みたいです。
2階は、velours ベルベット の生地に彩色する工程が見られます。
品揃え豊富なブティックもあるのですが、残念ながら時間オーバー。ショッピングはできず。また改めて、ゆっくり来たいと思います。
ツアー後は、Charpenneへ。あゆみさんの彼と、朝子さんも加わって、4人でランチ。
「おかわり」というレストランで、ラーメンです♪
寒かったので、私は、ツアー中から、ずっと、この瞬間を待ってました(笑)。
チャーシューが美味しかったです。(ラーメンの前に食べた餃子も!)
このあと、Part-dieuまでぶらぶら歩いて、Radisson Blu Hotel (リヨンの街でひときわ目立つクレヨン型のホテル)の32階へ。
やったー。晴れてきて、ビューが最高。
ここのティールーム、ゆっくりできて、穴場です。chocolat chaudがtres tres bon ! でした。