「カロリーヌと愉快な仲間たち」
土曜日、天気がいいので、ソーヌ川まで歩くと、古本市をやっていました。
今週末、レポート課題にもなっている JMG Le Crezioの本は ないかな~と思いつつ、ぶらっと眺めていたら、おぉ~!懐かしの絵本があるじゃないですか!
子供の時、大好きだった「カロリーヌと愉快な仲間たち」シリーズ。
うわぁ~、フランス語版(原語版)かぁ。思わず手に取ってみたら、絵がおんなじ(って当たり前か)。 しかし、ウン十年の時を経て、幼少の頃の感覚がこんなふうに蘇るなんて。
このカロリーヌシリーズは、フランスの Pierre Prebst 作。1951年に Hachette 社から出版されました。
登場する8匹の仲間たちの説明はここにあります。(日本語)
http://www.blg.co.jp/blp/n_caro.jsp
プロブストさんと、シリーズの説明はこちら(フランス語)。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Pierre_Probst
https://fr.wikipedia.org/wiki/Caroline_(albums)
「月へ行く編」「ヨーロッパ旅行編」など、8冊ほど売られていたのですが、子供の時に一番好きだった「ウインタースポーツ編」を購入しました。私が買ったのは、1977年に出版されたものです。ちょっとだけビンテージ? 10€。
このスキーの方向転換の図。
動物たちの仕草がたまらなくカワイイです。よくデッサンできてるなーと感心してしまいます。これは大人になった私の感想で、子供の時は、本からにじみ出てくる、なんだか外国的なものを感じとっていました。
これは一番印象に残っている場面。当時の私はスキーのリフトを知らなくて、外国の冬山(アスプスなんですけどね)のスケールの大きさだとか、リフトの果てしなく続く感じを、ドキドキしながら想像していました。のちに、20代の前半、シアトルのフライトが入ったとき、同僚とマウント レーニエ にスキーに行ったことがあるのですが、この時乗ったリフトがえーらく長くて、リフト上で突然、このカロリーヌの場面を思い出したことがあります。
これも、子供心に心配しながら読んだ(ボビーがジャンプしたまま、いなくなってしまう)場面。この背景の空が、いかにも、自分が一日どっぷり遊んだあとの夕刻の空の暗さと重なって、不安に~。(ほんと、どれだけ、本の世界に入りこんでいたか、って思います)
スケートの場面も好きです。
雪だるまコンクールの場面も。
古本屋さんに Bonne journeeと言われながら、川岸を立ち去り際、向かいの角に目を向けると、ちょうど、壁に本屋のだまし絵が。リヨンですね~。
ところで今回、今日買ったばかりの絵本を紹介したので、ついでに、きのう買ったばかりの品々も紹介しておきます(^^ゞ
(どれも必要に迫られて買ったものです )
ひとつめは、フライパン。おもて向きは普通…
実は Bialetti のフライパンで、色がさすがにイタリアです。
30%offで9€ なり。
Bialetti は、直火式コーヒーメーカーで有名ですね。
このコーヒーメーカー、ホストファミリー宅にもありました。オシャレだし、日本では高いようなので、帰国時のおみやげに買って帰ろうかな、と思っています。(荷物に入れば(-_-;))
それから、ロクシタンのボディクリームです。
肌がものすごく乾燥していることに、今ごろ、気づきました(・_・;)
とりあえず、ロクシタンに入れば、何かあるだろうって思って入ったら、案の定、お店の人がアドバイスをくれて、ものの3分ほどで決めました。
シアーバター25% 100ml で 19 €。
レジで、小さいほう(新製品とかでアプリコットの香り)も勧められたので、感じのいいお姉さんへのボーナスとして、買うことにしました。5€だし、アプリコット、好きだし。
最後は、HEMA (オランダ発のプチプラショップ)で、これまた必需品ばかり。
できるだけシンプルなものを選びます。
イヤホンは、トラムでラジオ France Culture を聴くために♪
ガイドツアー(3)Les traboules a la Croix-Rousse et l'Atlier de Soierie
久しぶりに、リヨン市が主催する、ガイドツアーに参加してきました。
今回、申し込んだのは、
「クロワ・ルースのトラブールと 絹織物の工房」がテーマのツアー。
トラブールとは、リヨンの古い建物内にある通路のことです。並行する二本の道をつないでいて、雨や人目を避けられるため、リヨンの主要産業品であった絹織物を濡らさずに運んだり、デザインの盗用を防いだり、第二次世界大戦中にはレジスタンスの活動にも利用されたと言われています。
クロワ・ルースの丘には、カニュ(Canut)と呼ばれる絹織物職人が、多く住み、働いていました。(こうした建物自体がたくさん残っていて、現在は、多くが、内部はアパートに改修され普通の住居として使われています)
で、今回のツアーは、そのクロワ・ルースの丘の上の広場で集合して、途中、トラブールを抜けながら、丘のふもとまで下っていく というツアー。
広場には、ジャカード織機を発明した、ジャカールさんの銅像が。
この日は、あいにくの雨。しかも寒い。それでも、参加者は、30人位いました。
今回、私は、あゆみさん(ただ今、リヨン滞在中のフランス語ガイドさん)と一緒に参加。ガイドは ベテランの Annelieseさん。オーストリアなまりのフランス語です。
要所、要所で、止まりながら、説明がなされます。話はおもに、リヨンの織物業の歴史なんですが、ざっと訳すとこうなります。
15世紀(ルネッサンス)イタリアからリヨンに、絹商人や技術者が引っ越してきます。ルイ11世がこれを推進し、南フランスで養蚕業が発展。
16世紀に入ると、フランソワ1世が貿易赤字を解消するためにリヨンに絹織物の特許を認め、絹産業の中心地に指定。
その後ルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿の装飾のために、金糸や銀糸を織り交ぜた豪華絢爛な絹織物をリヨンから調達します。
19世紀には、ナポレオンもリヨンの絹織物産業を保護。
織機の発明(ジャカード織機)で生産性が上がり、職工の活躍で絹織物産業が発展します。
ちなみに、フランス語で知りたい方は、リヨンの絹織物産業の歴史については、こちらにあります↓
https://fr.wikipedia.org/wiki/Histoire_de_la_soierie_à_Lyon
さて、今回、最も印象的だったトラブールは、Voraces (ヴォラス)の中庭 と呼ばれるトラブールです。石の階段に、思わず、おっ、となります。
ヴォラスとは絹織物職人の互助会の名前。1831年、劣悪な労働条件に対して起きた反乱の中心となったグループです。こんな碑がありました。
1831年のリヨンの織物工・canut(s) によるrevolte は (Annevoryさんは、織物工のことを終始、tisserand(s) と言ってましたが)、ヨーロッパにおける、最初の労働者による反乱 だそうです!そう聞くと、このクロワ・ルースという場所の意義がより高まります。
この碑には、1948年に採択された、世界人権宣言についても記載されていますね。
トラブールをぬけていくと、昨年まで私が住んでいたホストファミリーの家のすぐ近く(rue des tables de claudinne)に出てきたので、なんだか懐かしい気分になりました。この辺りは、以前よく歩いた場所です。
最後は、Atelier de Soierieへ。
ここは、coloration彩色を専門にやっている工房です。
オーナーの話が、これまた長かった。コメディアンみたいな口調で、よく喋る、喋る。
日本の寡黙な職人のイメージとは真逆です。
でも、実演してくれた彼は、寡黙でした。
スカーフのモチーフです。ブルーの色をのせると、鮮やかになりました。色を重ねていくのは、浮世絵みたいです。
2階は、velours ベルベット の生地に彩色する工程が見られます。
品揃え豊富なブティックもあるのですが、残念ながら時間オーバー。ショッピングはできず。また改めて、ゆっくり来たいと思います。
ツアー後は、Charpenneへ。あゆみさんの彼と、朝子さんも加わって、4人でランチ。
「おかわり」というレストランで、ラーメンです♪
寒かったので、私は、ツアー中から、ずっと、この瞬間を待ってました(笑)。
チャーシューが美味しかったです。(ラーメンの前に食べた餃子も!)
このあと、Part-dieuまでぶらぶら歩いて、Radisson Blu Hotel (リヨンの街でひときわ目立つクレヨン型のホテル)の32階へ。
やったー。晴れてきて、ビューが最高。
ここのティールーム、ゆっくりできて、穴場です。chocolat chaudがtres tres bon ! でした。
リヨンの KUMA KENGO
通訳ガイドは、建築についても 語れなければなりません。
隈研吾さんといえば、世界的に活躍されている日本の建築家ですが、東京でガイドしていて、彼の作品といえば、根津美術館、サントリー美術館、歌舞伎座、One Omotesando、浅草文化センター などなど。
隈さんの世界観が共通して見て取れます。
2020年の東京オリンピックの新国立競技場で、広く一般的に知られるようになりましたね。
それにしても、隈さんの手がけた建築の多いこと!
そして、ここリヨンにも、2015年に竣工した3棟からなる施設《Hikari》があります。コンセプトは、こちらのサイトにある通り。
Hikari | Architecture | Kengo Kuma and Associates
再開発が進むConfluence地区(ローヌ川とソーヌ川が合流する地点)にあって、以前、この辺りに来た時、隈さんが手がけたとは知らず、「なんてカッコイイ建物なんだろう!」と思ったことがあります。
今回、建物に近づいて、外壁やガラススクリーンをしげしげと見てきました。
竣工当時のLe Monde の記事がこちら。(フランス語ができる方はぜひお読みください)
A Lyon, Hikari, le premier îlot urbain à énergie positive
Hikariの向かいには、川をはさんでショッピングモールがあります。
モール側から見た光景はこんな感じになります。⤵
(⬆Hikari)
ちなみに、隈研吾さんは、うちの息子が通っていた横浜の中高一貫校のOBです。一昨年、学校が新しく建て替えられたのですが、新校舎の監修をされたのも、隈さんです😃
さて、「くま」つながりで、もう一つの話題です!
昨夜、L'Ourson qui boit というフレンチレストランに行ってきました。
L'Ourson qui Boit - Lyon | MICHELIN Restaurants
店名を訳すと、「のんべえのクマ」(?)。日本人シェフのお店です。
評判にたがわず、美味しかったです♫
まずamuse bouche でノックアウトされました~
Entreeは スモークしたサバに フォワグラのムースがのっかっていて、これがまた、幸せを感じるおいしさ!!
メインは、メス鴨(レアに近くレバーのよう)にワインと”ゆず”のソース。付け合わせはカブときのこ(+リンゴのピュレ)
デザートは、栗のクレームブリュレとチャイティーのアイス。
最後にお茶で締めました。
私達は、日頃の授業のストレスを解消すべく、おしゃべりにも夢中になっていたので、気がつくと、入店してから4時間も経っていました。
夜のコースは、32€。グラスワイン(4~5€)とコーヒー(3€)を頼んでも、
ひとり、40€弱という、ものすごいコスパの良さです。
また 来よう と誓った夜でした。
食欲もやる気も再燃
風邪が治ったとたん、俄然、また やる気がわいてきました。
J'ai repris le moral ! です。
この週末は、金土日と3日連続で、さまざまな友との楽しい交流がありました♪♪♪
まず金曜日。今月いっぱいで日本に帰国する大学生(garcon) の送別会を、リヨンのbochonでやりました。
彼がフランスでの留学経験を活かして、今後活躍してくれることを、切に願っております。(母、いや、姉のような気分)
la soupe des chataignes (栗のスープ)、美味しかったぁ~!
それぞれ、好きなメインを注文。
私は filet mignon de boeuf ( 牛フィレ肉)にしました。
そして土曜日。友人と一緒に、Pierreおじさんの家に招かれました。
こちらのお宅に伺うのは、3度目。とても居心地がよく、Pierreさんのホスピタリティが ここで いつも さく裂します。
お昼なのに、ちゃんと、ソファでアペロタイムがあって、この日は、artisanal な vin de noix (ナッツのワイン)を初めて飲みました。それから、テーブルに移って、食事タイム。前菜はendive(アンディーヴ)のサラダ、メインはポークソテーとPierreさんの庭で育てたインゲン&ポテトです。そのあと、チーズの盛り合わせがあって (*^▽^*)、 じゃーん、
食事中も食後も、おしゃべりに花が咲きまくります!!
Pierreさんは、昨年4月に15日間、日本をグループ旅行しているのですが、その時の日程表なども見せてもらいました。大阪から、岡山、倉敷、広島、宮島、松江、出雲、高野山、京都、奈良、東京、日光、河口湖、鎌倉をめぐる旅行だったようです。
そしてそして、日曜日。
前夜に急に誘われて、クラスメートが企画する持ち寄りパーティに参加することになりました。
中国人のIsabelleが今月で帰国するので、そのフェアウェルパーティでもあります。コロンビア人のLauraが住んでいる家は、フランス人2人を含む5人のcolocataire でシェアしているそうで、なんとHotel de Ville(市庁舎)の真横、クラシカルなすごい建築の中にあります。
ここは共同のキッチン。共同のリビングルームは、Hotel de Villeに面していて、とても広くて素敵なのですが、写真、撮り忘れました(-_-;)
アボカドとトマトのサラダはコロンビア風アレンジが効いていて、いくらでも食べられそう~!
この日のメインは、Isabelleが作ってくれた la fondue chinoise (中国の鍋)です。2種類のブイヨン:辛いバージョン(右)と辛くないバージョン(左・八角とかが入っています)を用意してくれました。
この中に、厚揚げ、さつま揚げ、ゆば、しいたけ、えのき、チンゲン菜、牛肉、羊肉なんかを入れていきます。材料は日本とかなり共通するのですが、味は、やっぱり、非常に中国的でした~。
Gaeunは、韓国のクラスメートで、ちょっと女優の小雪さん似です。彼女はこの日、キムチチャーハンを作ってくれました。
左から、日・韓・中・コロンビア の4人娘です♫♫
(すみません、20代の中に、ひとり 紛れこんでいます(^-^;)
食後は、みんなで、ピンポン。ドイツ人のMarkusは、この日、Cote de Rhoneのワインを持ってきてくれ、デザートに、その場で ティラミスを作ってくれました。やるな~。(これが絶品だった!)
(Daniel とJulienもコロンビアン)
私も張り切ってピンポンやりました。知らない間に撮られていたビデオ(動画)があるのですが、なぜか投稿できないので、ザンネン~。
このように、楽しい週末でありました。
でも、ご心配なく。ちゃんと勉強しています。
最近、Synthese に ハマっています。DALFのC1・C2 試験に向けての準備の一環なのですが、複数のdocumentsを読んで、テーマをつかみ、そこに共通するidees essentielles を抽出して、論理的に再構築して、自分の言葉でまとめあげる作業です。もちろん、フランス語の「型」というものがありますし、繰り返しを嫌う言語なので、どんどん言い換えのボキャブラリーが必要になってきます。
とにかく、この手のテクニックを磨くためには 訓練が必要 ですね。これがどれほど私の仕事に役立つのか~?と思うときもありますが、こうしたレベルの文章を書くために考えることは、内容のある話を論理的に話すことに きっとつながるものだと信じて、がんばりたいです。
風邪をひきました
留学生活第2章がスタートしたとたん、風邪をひきました。
日本で(インフルエンザはかかったことがあるものの)風邪をひくことはまずなかったので、まさか自分がフランスで風邪ををひくとは思ってもみなくて~
それがそもそもの間違いでした。
一時帰国や引っ越しや引っ越し先での新たなストレス等々で、免疫力が落ちていたところに、日用品やら食料品を揃えるためにせっせとLa Part-Dieuのショッピングモールに通った週末。(モールは、 特に土曜日の混雑ぶりはひどくて、風邪菌の宝庫だったかもしれない・・)
週明けから、咳が出てきて、のどが痛み始め・・・
これはヤバイ、早く手を打とうと思ったけど、日本から「まったく」風邪薬を持ってきてなくて~。(なんてこった~)
なので、薬局に行って、症状を訴えたところ、処方してくれたのが、のど用のスプレーと、咳用のジェル状の薬(非常にnaturalベースのもの)。けれど、この2つの薬が効かず、症状は悪化するばかり。
火曜日は早めに寝たものの、水曜日はさらに悪化。学校を早退して、また家でひたすら寝ていましたが、咳と のどの痛みが悪化の一途。あ~、日本の風邪薬さえあれば~、と、もんもん。
木曜日になって、日本人の友人(ただいまリヨン滞在中のフランス語のガイドさんです)にSOSして、風邪薬を持ってきてもらいました。(海外にいて、日本の薬を分けてもらうことはとても申し訳ないことだし、即、駆けつけてきてくれた友人は神様のようだった~)その分けてもらったベンザブロックを飲んだとたん、症状が和らぎ、光が見えてきました。
ところが、木曜日も金曜日も学校を休んで、ひたすら寝ていたのに、3回分のベンザブロックが終わったとたん、また症状が再発~。
金曜の晩に、たまらず、フランス人の知人(元・看護師)にSOS。ご夫婦で車で駆けつけてきてくれて、病院に連れていってくれることになりました。
しかし!これがとんでもないことに~!
運んでいってくれたのは救急病院。普通なら風邪ぐらいで行ってはいけないところなのに、おそらく、(そこで以前働いていた元・看護師の) 知人の裁量で、無理やりつっこんだのかと思われます。
で、一切の書類の手続きをやってくれたところまでは、ありがたかったのですが、その後、待合室(の廊下)の簡易ベッドに寝かされたあと、知人はまた来るからねと、家に帰っていきました。
それが夜8時前。私はわけがわからないまま、そこに放置され、夜10時過ぎても、11時過ぎても、12時過ぎても、呼ばれることはなく・・・。
周りの患者は、ものすごいいびきをかいていたり、俳諧していたり、、ぼんやり何時間もそれを見ていると、恐ろしくて・・・。とにかく、ここから抜け出したい、と思いましたが、ここがどこかもわからず(私の家からはかなり遠い地域)、メトロも終わってしまった時間なので、どうしようもない。私は、ここに棄てられてしまったのか?
夜中の1時、2時が過ぎて、もう死んだようになっているところへ、やっとスタッフがきて、別の部屋に移されました。そこで、コートやセーターを脱がされ(雑菌予防のため)、ぺらぺらの布を着せられ、その状態で、スタッフが、「なんで(あなたみたいな人が)救急病院に来たの?」と聞く。それは私のほうが聞きたい。なんで私はここにいるのか? 責めるような口調の質問に、涙ぐみそうになりながら、「私が望んだんじゃない。ここを選んだのは私じゃない」と訴えると、別のスタッフが、質問したスタッフをさとし、そのスタッフも「ごめんなさい。そんなつもりはなかったの。ただ質問しただけだから。」と謝る。
あ~、それでも、私にも、自分が場違いであることがわかっていて、だからなおさら居心地が悪くて悪くて、帰りたくてしかたないのに・・・。
さて、この別室で待たされること、さらに1時間。SF映画に出てくるような実験室みたいな部屋で、恐怖とあきらめが交差する。ぺらぺらな布が寒くて、こんなところにいたら風邪をひいてしまう~💦と思った。(が、私はすでに風邪をひいているのだった)
ドクターが診察に来てくれたのは、夜中3時前でした。その前に研修医の軽い診察があって、なぜか同時に、知人も病院に来ていました。私は知人に「こんなことになるとは知らなかった。こんなに待つなんて知らなかったー。」と言うと、彼は「これが唯一のソリューションだったんだ。」と言って、悲しそうな目をしている。私は恩人に向かって吐いた暴言を反省。でも、7時間もの間、私の頭は???だらけで、その時の私はそう言わないと狂いそうだった。
クールなドクターの診察により、私の風邪はただの風邪で、インフルエンザでもなく、心配するような病気でもないことがわかりました。
病院を出たのは朝方4時。とりあえず知人の家で寝かせてもらい(素敵な部屋だった。とはいえ長居するわけにもいかず)2時間ほど仮眠をとったあと、私はなんとか自力で家に帰りました。
というのは、事態は もっと ややこしくて。
実はこの同じ日(金曜日の夜)、ロンドンから、英語ガイドの親友(オフシーズンのみロンドン在住。オンシーズンは日本)がリヨンに遊びに来る日でして~。
もともと私は駅まで彼女を迎えに行くはずだったのに、症状の悪化で行けず。しかも、救急病院にはwifiがなく、まったく連絡できずじまい(ひえ~💦)朝になるまで彼女は、私がどうなってしまったのか、知る由もなかったのです。彼女は駅から自力でホテルにチェックインし(フランス語の世界で、自分でメトロを乗り継いでたどり着くのは大変なことです)、晩ご飯もひとりでレストランに行き、翌日の午前中は、(やっとコンタクトがとれた朝、私が電話でアドバイスした通りに)、ひとりでフェルヴィエールの丘の大聖堂と旧市街を観光してくれました。
一方、いったん家に帰った私は、支度をして、お昼すぎに、彼女と合流、晴れて、私達は、リヨンの街で再会、おしゃべりと散策を楽しみました。
本来なら、もっといろいろ案内したかったし、もっと見せたいものもあったけど、それでも、この状況で、このコンディションで、よく一緒にいることができた、と思います! 彼女が、とてもポジティヴで、私の健康状態を知りながらも、臆せず、この状況に飛びこんできてくれて、果敢に、この国、この街を楽しもうとしてくれたことは、特筆すべきことです。その勇気、前向きな生き方が、どれほど精神的に私を励ましてくれたことか。 彼女がわざわざリヨンに来てくれたのは、何より、留学中の私を、彼女の眼で実際に確かめるためです。何か月後に、過去の話として留学話を聴くのではなく、まさに奮闘している私の今を目撃して、ともに今という瞬間を分かち合う、そのために来てくれたのです。こんな友達っているでしょうか?
残念ながら、一緒に行ったカフェやレストランでは、食欲が回復しておらず、病院で服用した痛め止めのために、一時的に味覚障害になり、一緒に料理を平らげるまでには至りませんでしたが、それでも、彼女とリヨンのお店にいるという事実は、直前までの展開を考えると、夢のような時間でした。
翌日(日曜日)には、Les Halles de Paul Bocuse でリヨンのグルメな市場を堪能したあと、彼女はロンドンへ帰っていきました。
特別な状況下での再会ではあったけれど、リヨンの空気をじかに感じてもらい、積もる話をこの地でたくさんできたこと、ほんとうに感謝しています。
2018年 最初の投稿
年末年始の一時帰国から、リヨンに戻ってきました。
1月3日の夜、日本からの長旅(羽田ーパリ、パリーリヨン)のまま、その足で、新しく住むことになったステュディオへ、引っ越しです。
もともと、パリ空港での乗り継ぎがタイトだったので、羽田で荷物にプライオリティタグをつけてもらうようお願いしたものの、飛行機の到着が遅れ、TGVの出発まで、残りわずか、という状況に。 ANAのターミナルとTGVのターミナルが違うので、シャトルで移動して、走って、ぎりぎり、出発30秒前にリヨン行きのTGVに飛び乗りました。
しかし、私が予約していたのは3号車。飛び乗ったのは15号車。中はつながっていません😱 なので、次の駅でいったん降りて、でかくて重~いバゲージを持って、ホームを「全速力で」走って、再び、乗りこみました。ぜぇぜぇ、なんなんだ、新年早々~。
さて、この1月からは、ホームステイをやめて、学生向けのstudioで一人暮らし。こんなところです。
いざ、着いてみると、生活必需品が何もない。wifiもない!ケーブルを買ってつなげないとPCでインターネットもできない。とりあえず、持ってきた荷物は全部出して、部屋を整え、寝具だけは借りて、寝ました~。(翌朝から学校が再開するので~)
次の朝、トラムに乗って、アリアンスフランセーズへ。
studioの目の前にトラムの駅があるので、乗ってしまえば、25分で着きます。
昨年までは、メトロでの通学でしたが、今年は、このトラムが私の大切な足です。
定期を買いました。1か月68ユーロほど。(学割では40ユーロほどですが、私は年齢が妥当せず(-_-;)フル料金)。でも、日本の定期と違って、区間限定でなく、市内どこでも、このカードさえあれば行けるので、とても便利です。
実際、この数日、学校だけでなく、生活必需品を揃えるのに、家とショッピングモールを何度もトラムで往復しました。
通学の朝は、降りた駅の近くで、授業の合間の休み時間に食べるパンを買います。
(朝食は家で取っていきますが、11時ごろお腹が空く)
ここが行きつけのパン屋さん。
学校のクラスは、レベルがひとつ上がって、C1N1。人数も7人に減って、先生も変わって、内容もレベルアップした感があり、気に入っています。
今月の最初のテーマは、フランスのla region。2016年からフランス本国のregionsは、再統合されて13になったのですね。
(教科書はなくなり、教材はコピー中心です)
ガイドに使えそうなボキャブラリーも豊富です。
生活環境が変わり、留学の第2章が始まったなー、という感じです。
最後に、今回の一時帰国時に、日本へのお土産として買ったものを紹介します。
まずは、ワイン。
ホストファミリーのお父さんが教えてくれたVin Natureというオーガニックワインのみを扱うお店にて。
ベルギー人のお姉さんが、フランスのあらゆる地方の各種ワインについて、詳しく教えてくれました。
うちのネコを預かってくれている友人の旦那様と、私のダンナにそれぞれ赤と白を選びました。
ネコを預かってくれている友人には、シリリュスのスカーフを。とても可愛い柄と色合いです♪
11月末に出産したばかりの姪っ子(の赤ちゃん)には、飛び出す絵本(とスタイ)を。何軒も本屋さんを巡りましたが、これはリヨン美術館で購入しました。
社会人になった息子には、made in France のネコちゃんセロテープ(笑)。いや、これが結構オシャレなんですってば。
実家や姉には、チーズを。
あとは、向かって右から、おなじみパピヨット(チョコ)、マチルドの棒つきチョコ(ココアが作れる)、アルデッシュのマロンクリーム です。
逆に、日本から、今回、フランスへのおみやげとして、友人達に用意したのが、
日本の通訳ガイド業界では有名な、フランス語のカリスマガイド、長野智行さんの新著です。刷り上がったばかりの本を、直接、ご本人から受けとりました(笑)。
ともさんは、私がガイドデビューした新人時代からの師匠です。
素敵な装丁。内容はユーモアいっぱいです。
アルザスのご夫婦をたずねて
2017年も残りわずか。2018年を前に、ブログに書ききれないことがたくさんあったなぁ、と思うのですが、
せめて、学校の休暇を利用してアルザスに行ったときのことは、新年になる前に書き留めておこうと思います。
アルザスのご夫婦(Pierre & Laurie)は、2010年の(彼らの初めての)日本旅行以来、2015年、2016年、2017年と、4回にわたって(いずれも15日間以上の長い個人ツアーで)、日本全国をご案内した、私のお客さまです。今年は、6月~7月にかけて、東北と北海道をぐるりとお供したばかりですが、10月末、ついにお二人の地元で再会(^o^) となりました。
↑ リヨンからTGVで3時間、ミュールーズに降り立つと、お二人がホームまで迎えに来てくれていました。それだけでまず感動~。なんだか実家に帰ってきたみたい。
その後、車で彼らの住む町 Soultz(スルツ)へ。
何度となく話には聞いていたお家の様子ですが、想像していたよりも、大きく、美しく、そして何よりも、最高のもてなしぶりに、また感動~。
Pierreがウェルカム シャンパンを開けてくれます😃
Laurieは元・女医さんで、その頭の良さや知的好奇心の高さは知っていましたが、家はピカピカだし、お料理は上手だし、こんなに家事ができる女性だとは知りませんでした~。
⬆ 前菜のフォワグラ。チェリーと絶妙なマッチング!(この組み合わせ、ホント美味しいです)
メインは・・・(ジャーン)
子牛です。
デザートも手作りタルトです。
Laurieのご両親のお家も訪ねました。
こちらは、夕食後のチーズ ♪ と 花梨のコンポート。
用意してくれたお部屋も、この通り、ホテル以上に快適。専用バスルームもピカピカ。
ふ
翌日は、スルツの街中まで散歩。
途中、建築中の家を発見。(プロセスはなかなか見る機会がないので足を止めました)
アルザス地方の町並みは、ドイツに似て、美しいですね。
毎朝ここでバゲットを買うという、行きつけのパン屋さん。
教会には、日時計が~♪
この通りを帰っていくと家に着きます。
そしてこの日。なんと、彼らが私のためにランチを予約してくれていたのが、
車を走らせた隣り村にある、シャトーイーゼンブルグ のレストラン。
Château d'Isenbourg & Spa -hôtel de Charme à Rouffach, Alsace
ここは、実は、15年前に、私が家族(ダンナと息子と)3人でフランス・ドイツ旅行(特にアルザスはのんびりと旅行)したときに、2泊したシャトーホテル。当時、ミシュランの星を獲得していたレストランで、特別な日を過ごした思い出の場所です。
その話を覚えていてくれたLaurie とPierre が、サプライズで招待してくれたのでした。
テーブルに着いて、15年前と変わらぬテラスからの眺めを見たとたん、胸が熱くなりました。
料理が洗練されていて美味しいのはもちろんですが、
今、ここに、自分がいることが、信じられなくて。
15年前、まさか自分が、この場所に、”フランス人と” 戻ってくるとは、夢にも思わなかったですし~、
あの時の家族・・・(息子はまだ小さかった~。このシャトーの中と外にあるプールではしゃいでいた~)・・・の思い出が、一気に映像となってよみがえってきて、信じがたい感動に包まれました。
これが、その(室内のほうの)プール。
シャトーの前に広がるブドウ畑は変わらず。
この日、午後は、ロングドライブの末に、Pierreの故郷にほど近い Mont St.Odile に連れていってもらいました。ここは、Pierreが小さいときから何度も、信仰深いお母さんに連れられて歩いて登った聖なる山です。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Mont_Sainte-Odile
2泊3日の小旅行を終え、リヨンに戻ってくると、スルツとは大違いの、リヨンの(フランスの都市ならではの)カオスぶりに、再び現実に引き戻された感がありました。が、フランスにも多様な側面あり、ということです。
ご夫婦には、とても感謝しています。また、再来年あたり(?)日本にいらっしゃるそうです♫ その時は、またガイドとしてガンバリマスよー!